August 25, 2019

ラダック再訪。(1)



 もう20年以上も昔、修士課程を終えた記念にインドを旅行してからその魅力を覚え、幾度となく彼の地を訪れています。ジャンムー・カシミール州、ラダック地方も2001年8月に行っているのですが、2019年8月、ラダックに山岳トレッキングに行くという友人に誘われて再度出かけてみました。本格的な山岳トレッキングは僕の燃費の悪い大柄の体躯には荷が重いので、そこは適当に勘弁してもらいつつですけどね。


 最寄りの空港はレー。デリーからLCCで1時間程度で意外と近い。昨今はインドもLCCの航空網が発展して、どこも行きやすくなりました。今回は空港からさらに車で1時間弱、レーの街からインダス川を挟んだ対岸のストク村に宿泊です。インダスを渡るメインの橋が壊れてしまって使えないとかで回り道、レーからはいつもより少し余計に時間がかかるみたいです。
 このページの一番上の写真はストクの村の遠景。背後に見える雪山はストク・カングリ(標高6,154m)。ストク村(標高3,500m強)でも空気薄くてそれなりに大変なのに、みなさんあんなところまで登りに行くんですよ。



 今回泊めていただいたのはNyamushan House Homestay。ラダックの男性と結婚して現地に移り住んだ池田悦子さんが子育てしながら切り盛りしていらっしゃる民宿っぽいお宿です。聞けば住む人がいなくなってた旦那の実家を改装した建物だそうで。地域で最も古い民家のひとつだそうです。

*   *   *

 東京暮らしは嫌いではないし、今の仕事もそれなりに納得してやっている。時々は友達と外食に出かけ、美味しいお酒など楽しむ。それはそれでいいんですけど、その繰り返しも長くなると、なにかどこか、思考が硬直してくる気がします。こんなんでよかったんだっけ?
 時には日常を離れ、自分の生活を俯瞰する時間が必要なようで、それが僕にとっての旅行の意味でした。インドはその旅先としてうってつけ、もう数えるのはやめましたが、10回以上は来ているはずです。


 初日はまだ薄い空気に体が慣れず、ずっと心臓がバクバクしている状態なので、村の中の旧王宮までゆっくりゆっくり散歩。東京の自宅を出てからまともに寝てない寝不足状態もあって、けっこう息が切れます。自分が老人になったときの疑似体験をしているようでした。
 ストクの王宮は19世紀に建てられ、ラダックの王家の住まいだったところだそうです。今はインダス川の対岸のレー市街を見晴らすことができる博物館になっていました。

*   *   *

 翌日はレーの市街へ。空港も近く、この地域で一番の街です。前回訪れたのは18年も前ですが、来てみるとなんとなく思い出すところがあります。もちろん、開発も進んでいて建物も増えているんですが、「たしかこっちに抜け道があった」「当時からここに観光客向けのレストランがあってビールが飲めた」「ここは建築中だったけど、18年経ってまだ建築中なの?」「あの時泊まった宿はこの道の先の左手だった」と記憶がよみがえります。


 18年前は一人旅でした。上京してから数年経って、でも当時も「こんなんじゃないはずだ」と模索の日々で、都内でまた別の大学院に入り直していろいろとめんどくさいことを考えている頃だったはずです。
 一人旅だったけど、車をシェアしたり、同宿だったり、レーから一緒に遠出したりした旅の道連れがいて、実質は一人ではありませんでした。あの時お茶を飲みながらいろんな話を聞かせてくれたオーストリアの女医さん、もう名前も覚えていませんが、ダラムサラでボランティアで医療活動をしてて、ラダックの僧院を巡った後はアムリトサルの黄金寺院を見に行くとおっしゃってましたっけ。「そこは千夜一夜のようなところで、きっと人生も千夜一夜のようなものよ」と微笑みながら、出会った記念にとマニ車のペンダントヘッドを僕にくれました。


 そのペンダントヘッドは、今、まだ僕の手元にあります。あの時から、夜の数は千回を超えましたね。みんなどこで何をしてるのかなあ。

*   *   *

 そろそろ高地にも慣れてきたところで、レーから120kmほどのところにあるLamayuruの僧院(ゴンパ)へ。18年前は砂利道だった道路はすっかりきれいに舗装されていて、途中休憩を取りながら行っても片道4時間はかからないです。


 途中、ザンスカール川とインダス川の合流地点を通ります。川の水は今は茶色だけど、冬には緑色になるそうです。




 Lamayuruのゴンパ。この地域の総本山みたいな僧院です。盛んに建築、増築が進んでいましたが、「今は僧は150人くらいしか住んでないよ。」とのこと。

 レーにはレンタルバイク屋がたくさんあって、ラダックのツーリングも気軽に楽しめそうなんですが、18年前にはまだレンタルバイク屋はありませんでした。でも、もぐりでバイクを貸してくれる人はいて、僕はそれでLamayuruまで来ようとして、でも途中でバイク壊しちゃったんでした。雑にギアチェンジしてクラッチパネルを割ったんです。あの頃キミは若かった。あの時、砂利道をバイクを押して歩いた記憶があるので、この道が舗装されていなかったのは確かです。
 それであの日、なんだかんだあってLamayuruの少し手前のKhaltseの村に一泊することになって。同宿のおじさんと一緒に晩飯食べて、片言の英語で家族の話、宗教の話、インドと日本の話などしたんだっけ。「日本に帰ったら、キミの"inner spirit"を書いてよこしなさい。」そう言っておじさんは僕のノートに自分の名前と住所を書いたんです。
 翌日、宿を出ようとしたら、僕の宿代と飯代はそのおじさんによって支払済でした。すいません、18年経ちましたが、まだお礼も言えてないし、"inner spirit"も書いてません。

 今回はLamayuruの帰り途、Khaltse村でドライバーくんとガイドくんとチャイを飲みながら、そんなことを思い出していました。




(長くなりそうなので一旦ここまで。後編に続きます。)

July 14, 2019

モビリティ。


 この「東京トヨタ渋谷店」、前に通った時には外壁に足場を組んで作業中だったんですけど、出来上がってました。

 ああ、やっぱり。そうだよね。「トヨタモビリティ東京」。 

 カーシェア、コネクテッドカー、自動運転車と車を取り巻く環境は急速に変化しており、「車」の概念さえ変化しそうなこのご時世、トヨタのような会社がその先を見てないはずがない。

 そもそも「車」は何のためにあるのか。人や物をある地点から別の地点に移動させるためです。

 逆に言えば、「人や物をある地点から別の地点に移動させる」ことができれば、なにも今の「車」にこだわる必要はない。

 そう、「車」の概念さえ変化しそうなな時代にあって、自動車メーカーが今のまま「車」を作ってればよいという日々は早かれ遅かれ終わる。

 だから、トヨタは「自動車メーカー」から「移動〜モビリティ〜」を提供する会社と自己定義を変えようとしているに違いない。


July 10, 2019

選挙制度の話。

 現与党の安定多数の議会に不満な人が「与党に投票していない人は80%もいる!なのに議会で多数派!おかしい!」みたいな批判をしているのを見ててモヤモヤする。与党に批判的なことはいいんですけど、その批判の仕方としてこれは筋悪じゃないですか。

 そういう批判をする人は、棄権した人たちがもし投票していれば野党に投票していたはずだという根拠なき自信を持っているところから変なんですが、それを横に置いたとしても、やっぱり考えが浅くないですかねえ。

 たとえばですね、各党の得票数の割合と議席数の割合を一致させるとすると、完全比例代表制ということになるわけですが、これも問題でしょうと。仮に国民の1%の支持がある政党があれば、定員500議席の議会では5議席取れる。こんな調子で、数人、数十人の勢力の小党が乱立すると、意思決定できない議会ができてしまうんじゃないでしょうか。政治はどこかの時点で「決めること」が求められますが、数人、数十人の党がわちゃわちゃしてたら、なかなか物事は決められない。それは困る。迅速性に欠ける。

 んなもんですから、比例代表制ながら足切り制度を導入している国もあるそうですよ。たとえば、有効投票数の5%以下しか得票していない政党には議席は与えないとか。泡沫政党や無所属議員を排除してしまうんですね。なるほど。

 しかしその完全比例代表制はなんだかなあということで、その対極にあるのが多数代表制というか小選挙区制ですよね。「決められる政治」を目指すなら、少しでも得票の多い方の党の主張に沿うのが民主的であるから、各選挙区に議席は1つずつにして、そこで一番たくさん得票した人に議席を与えましょうという考え方。

 これであれば「決められる政治」が生まれやすい。世論の支持が他よりちょっとでも多い方の党がごそっと議席を取るので。

 が、これはこれで問題です。そのときそのときの世論の風で各党の獲得議席数が大きく振れがちで政治の連続性、安定性に欠けるかも。また、自分の投票した候補が当選しない、死票が多くなることも悲しい。

 では、というのでその昔、日本でもやっていた中選挙区制なんていうのもある。1つの選挙区に3議席、4議席とかを割り振る制度。これだと比例代表制と小選挙区制の間くらいになるかと思われるのだけど、またこれはこれで問題がある。かつての日本の場合、3議席なら自民、社会、公明、4議席なら自民、社会、公明、共産、みたいに固定してしまう。与党に逆風が吹いてその支持が落ちても、ただ得票数の順番が「自民、社会、公明」から「社会、自民、公明」になるだけで各党の議席数があんまり変わらなかったりする。この硬直性は問題なのではないかと。世論の動向に鈍感でいいのかと。

 それで政権交代が可能な制度として、日本でも小選挙区制が導入されるようになったんじゃなかったっけ。ただ、小選挙区制一本でいくのもまた不安定だから、小選挙区比例代表並立制なんていうハイブリッドなシステムを作ってみたりして。

 どんな選挙制度にも一長一短あるんだと思う。「決められる政治」「安定した政治」「世論の動きに敏感な政治」。バランスよく、かつ公平公正にしなくてはならないので、選挙制度は試行錯誤。他にも、一票の格差の問題とか選挙区割りの問題とか、考慮しなくてはならないことはいろいろあるし。

 日本の選挙制度がすばらしいというつもりはないですけど、一応そういう工夫の積み重ねで今の制度があることには間違いないし、幸い不正も少ない。世の中には、議席の半分を軍が取るとか、議席の半分を大統領が指名するとかいう制度の国だってあって、そういうのに比べたらマシな気がする。

 そうやって工夫を積み重ねて作ったルールの上で、選挙というゲームをやっているわけでしょう。公になっている、みんなが知ることができるルールがあって、そのルールに従って戦って、勝ったところが政権を取るのは当たり前じゃないですかね。

「与党に投票していない人は80%もいる!」と批判したところでなんら説得力はないじゃん。そういうルールなんだから。

January 25, 2019

アフロ・ジャズ



 Oliver Mtukudziが亡くなった。享年66歳。

 といってもほとんどの日本人は彼を知らないだろう。僕も詳しくは知らない。 

 「有名なミュージシャンだよ。」

 そう誘われてコンサートに行ったんです。日もすっかり落ちたハラレ市内の屋外ステージ、盛り上がってました。それでなんとなく、CD買って帰ってきたんです。

 ギター、ドラムにシンセサイザーの電子音。土着の音楽に根差した反復の多いメロディライン。正直、そこまで凝った作りの楽曲ではない。歌詞は一部英語だけど、ほとんどショナ語で意味分からないし。「アフロ・ジャズ」と言うそうな。

 それでも、聞き直す度に、あれが僕にとってのアフリカのリズムだったなあと郷愁を掻き立てられるのです。

 肩の力の抜けた、人懐っこい人々。だだっ広くて埃っぽい大地。それをそのまま写したような音楽を作る人でした。

 今日はジンバブエや南アフリカのメディアだけでなく、イギリスBBCもその死を悼む報を流しています。

 まあ、ムガベ大統領時代の世相をおちょくるような歌を唄ったり、unicefに楽曲で協力したりもしてたみたいですけどね。

 https://itunes.apple.com/jp/album/wonai/1206939787

 ご冥福をお祈りして、今日はこのアルバムを聞きながら南アフリカのワインを一杯。



December 31, 2018

2018年の忘年会。


忘年会。「それぞれの今年の三大ニュースはなに?」という話が振られまして。

ただ慌しく、でも漫然と2018年を終えたような気がしてたけど、改めて振り返ってみると、それなりにいろいろあったなあと。

いい事ばかりではなかったけれど、その分、この後を生きていくための心持ちが徐々に固まってきたように思う、そんな1年でした。

今年もお世話になりました。
みなさん、よい新年をお迎えくださいませ!


It was asked “What were your personal 3 biggest events in 2018?” at a year-ending party.
Once I thought my 2018 was just busy and one of the ordinary years of mine, but there were lots of significant events, actually.

Not all of them were good ones but they were relevant opportunities for me to think about how to live my life in coming years.

Thank you all for your kindness in 2018 and a happy new year 2019!!

December 02, 2018

30年。


 高校卒業から30年の節目が近付いてる。
 我が母校は卒業30年目の学年が幹事学年として1年間、様々なイベントを取り仕切るしきたり。
 現役高校生の後輩たちのための社会人講演会とか、地元福岡のほか関西や東京で開催する同窓会とか。

 同窓会、これが結構な規模で、東京の同窓会でも700人とか集まる(集める)大宴会になるので、幹事も実行委員会を作ってやるレベル。有名人や大物になってる卒業生もいるし、限定グッズやタイアップ商品も作るし、そもそも会場も1年以上前に押さえなきゃいけないし。
 そんなことで、実行委員会からしきりに動員がかかってまして、出来る限り協力していこうと思ってます。出来る限り、ですけどね。
 当時、高校の運動会も割と大掛かりで、地元テレビ局の取材が入るレベルでした(今は知らんけど)。 観客席になる雛段状の足場を組んで、その上に横9m、縦3.6mのパネルを設置して絵を描くんですが、これが4つ。そのうちの一つの下絵を任されたのはいい思い出です。
 画像はその時の下絵(パネルの1/15サイズ)をスキャナーで取り込んだもの。懐かしいなあ。こういうものを振り返るお年頃になりましたよ、僕も。

November 10, 2018

そりゃそうだけどさ。

 そのジムでは、「器具を使った後は備え付けのタオルで拭きましょう。」というルールになっていて、それぞれの器具のところにハンドタオルが置いてある。

 ある時、若い男性が器具を拭かずに立ち去ると、「おい、ちゃんと拭けよ。」と絡む五十過ぎくらいの男性がいて、辺りが一気に気まずい雰囲気。僕は見てたんですが、その若い男性は今ジムに来たところで汗もかいてないし、その器具でちょっとウォーミングアップしただけなんですよね。別に器具に汗を残したわけじゃない。

* * *

 その通りは中央分離帯が植え込みになってて、車で脇道から出てくると右折も直進もできない。左折のみ。ただ、大して車も人も多くないところなのに歩道はかなり広いので、自転車で脇道から出てくると、右折して歩道を50mほど逆走すれば、信号を渡ってその通りを横断できる。

 ところがその50mの区間で、「おい、なに逆走してんだよ。」と絡む男性がいる。これも五十過ぎか六十くらい。いきなり他人から大声で凄まれれば、頭に血が上るのも分かる。

* * *

 「規則」という点から言えば、いずれも他人に注意し絡んでくる男性の方が正しい。正しいんだけど、そりゃそうなんだけど、それでだれか迷惑しましたか? 規則上文句が言えない立場から他人を罵って、気持ちよくなってませんか?
 規則ではそうなっているという状況で、相手が反論しづらいところで、相手を叱責する。そういうことがあちこちで起きてて、なんだかギスギス、息苦しくしてると思うんですよね。

 しかし、外形的には他人に絡んでくる人の方が正しいことになってしまうので、なかなか指摘しにくい。ブログでこういうことを書いても、「あなたは規則を守らなくてもいいと言うんですか!」「違反者の肩を持つんですか!」というレスが付く気がする。

 息苦しいなあ。通勤電車の「お客様どうしのトラブル」っていうのも、こういう感じなんだろうなあ。

 で、なんでかこういう正義を盾に他人を叱責する人って、中高年の男性が多いように思うんですが、どうなんでしょうかね。くわばらくわばら。

October 26, 2018

ジャーナリストの人質事件についての会話。

>>安田純平氏の件ってどうなんですか? 私は、戦場ジャーナリストを名乗る以上、自身のセキュリティには最大限注意すべきだと思ってます。カタールが払ったという3億円の身代金も……。
>>私の考えが歪んでいたらごめんなさい。
>>でも、自分の行動で、他人様に迷惑をかけるって我慢ならない。しかも、3回目! 日本の報道を見てると、ジャーナリストは支持してますね。彼を。

>彼のこれまでの発言、行動を見ているととても支持できないし、「いい加減にしろ」「自己責任だろ」と言いたくなるのも分かります。僕も「なんなんだこの人は」と思う。
>でも、それでも、そんな人間でも、海外でヤクザな犯罪集団に拘束されたとなればその解放に最大限可能な努力をするのが国家であるし、それがあるべき姿だと思います。 >たとえ一納税者としては腹立たしく思えたとしても、国家の威信と信頼を維持するためには必要なコストだと思いますよ。

>>なるほどね。
>>今回の事件と離れますが、湯川遥菜さんのときには、あんまり日本政府は熱心に動いたようには見えなかったけれど、それは高度の国際政治的問題から実は隠密裏にやっていたんだけど間に合わなかった・・・、ということなんでしょうか。

>>それと、カタールが3億円?の身代金を払ったということなんですが、カタールがたまたま金持ちだったからよかったようなものの、日本政府は絶対に払わない、という姿勢だよね。最大限可能な努力、というのは、「金を払わないで」という前提となると、なかなか解放交渉はシンドイのではないかと思うのです。私個人は、国家が身代金を払えとは思ってないです。ただ、先方が金を要求する以上、いくらなんでも交渉に限界があるのでは、という意味。

>「最大限可能な努力」も限界はあるのですが、努力しているという姿勢を見せることが大切なんではないでしょうか。

>実際上は手詰まりになって、だからいつまでも解決しないまま時間が過ぎていくわけで。 >身代金については、これは本当に払ったかどうか分かりません。「身代金の要求には応じない」が正攻法であり、払わないから解決しないし、場合によっては人質が殺害されることもやむなし、というのが正しいとされていますが、実は裏でこっそり払っている可能性は否定出来ないです。アメリカでさえ、「絶対払わない」と言っていたのに、事件解決後何年も経って、実は払っていたことが暴かれたケースがあり、欧州諸国も実は払っていたのではないかと疑われる事案があると聞きます。 >今回はカタールが払ったことになっているそうですが、実際は誰が払ったのか、あるいは誰も払っていないのか、分かったもんじゃないです。

>>なるほどね。身代金のことは、だれもわからない・・・それはそうだわね。
>>日本の報道機関の論調だと、ジャーナリストなんだから英雄だ・・・という感じなのですが、民間人だろうがジャーナリストだろうが、日本政府としては同じ扱いということだよね。
>>ジャーナリストといっても、単に目立ちたがりの冒険野郎の自称ジャーナリストの人もいるだろうし。
>>とにかく政府は「日本国民を見捨ててません。努力してます」という姿勢を示すことは大事で、今回は、幸いにも結果が伴った、ということでしょうかね。


>どんなに愚かしい人でも、どんなに政府に批判的な人でも、政府は国民を守るという姿勢を取ることが必要だと思います。 >どんなに馬鹿で自己責任で貧困に陥った人でも、政府にはすべての国民に福祉を提供することが憲法上求められるのと同じでしょう。


>>なるほどー。
>>ということになると、ジャーナリストと民間人は、あまり違いはないということだね。


>政府は、ジャーナリストは民間人に分類していると思います。一般旅券所持者は民間人かな。あるいは軍人でなければみんな民間人。

>っていうか、報道機関がジャーナリストを民間人と区別して英雄扱いしてるのなら、そこが変。英雄のジャーナリストもいれば、愚かなジャーナリストもいる。 >医者だから、サラリーマンだからという肩書だけではその人の偉さは測れないのに、ジャーナリストの自分たちは特別であると自分たちで報じているなら、その選民意識が人々から嫌われる理由の一つではないかと。

>>それだ!


July 14, 2018

伊豆七島、式根島。

 


 その週末は西日本を中心に記録的な大雨の被害が広がり、私の実家も一時避難指示対象地域に入ってしまうという週末でしたが、心配すること以外にできることはないので、予定どおり伊豆七島は式根島にスキューバダイビングに行ってきました。


 金曜深夜に竹芝桟橋を出港する頃には東京の雨は上がり、大島を通り過ぎる頃には「さるびあ丸」の甲板から水平線上の穏やかな朝焼けを眺め、午前8時、式根島の野伏港に入港した時には真夏の日差しがまぶしかったです。



 ダイビングはものすごく久しぶりで、スキルの再確認も必要だし、そもそも年食って体型も体調も変わっているので以前を同じ事ができるのかどうかも心配だしということで、午後からゆっくり、ビーチエントリーのやさしいダイビングを2本の予定。なので、午前中は原付バイクを借りて島を一周りしてみました。


 リアス式海岸に囲まれ、ところどころの入江ではエメラルド色の海が涼しげです。



 聞けば、先史時代から平安時代の遺物も出土しているそうで、この島に古くから人がいたことが分かります。江戸時代にも八丈島に渡る時の風待ちのために船を入江に入れたり、隣の新島の人々が漁に来たりしていたようですが、改めて定住者が入植したのは明治21年(1888年)のこと。昭和12年(1937年)の開島50周年の碑と、昭和62年(1987年)の開島100周年の碑が建てられておりました。


 4世帯8人が入植した当初は真水の確保に苦労し、3年がかりで掘った「まいまいずの井戸」。現在は新島から海底に敷設したパイプを通じて真水が送られてきているそうです。

 現在の島の産業は漁業と観光業。
 小型漁船で近海の魚を捕っているそうで、いろんな種類の魚が揚がるそうですが、季節になると5kgくらいの脂ののったマグロがうまいという話です。また、タイの養殖も行われている様子でした。しかし、巻き網漁船による大規模漁業の影響で、この島の家族経営的な漁業は厳しいとの話も聞きました。先行きが明るくないので、跡継ぎがいないし、継がせたくもない。いずこも同じでよく聞く話です。


 観光業の方は、釣り客がメイン。海水浴客、私のようなダイビング目的の客もやってきます。島内に何か所かある海辺の露天温泉も楽しめます。




 しかしこちらも厳しいようで、民宿の数は往時の半分くらいになってしまったとのことでした。私が式根島に行ったのは7月初頭のハイシーズンに入る少し前だったので若干割り引いてみないといけないし、また日差しと潮風の強いところで屋外のものが早々に色あせてしまうということもあるんだろうとは思いますが、それにしてもこんな風なギリギリな感じの宿や店が多く、明らかに廃業してしまっているところも目に付きます。

 観光のハイシーズンは夏の約2か月間だけ、台風シーズンになれば客足は落ちるし、冬は暇だしということで、島の人は夏は民宿など観光客相手の仕事をし、それ以外の季節は漁業を手伝ったり、隠れた産業である公共事業に従事したりしているようですが、それもそんなに実入りがよいわけでもなく、先細りを思わせる話でした。

 ということで、いずれにしてもあんまり景気のいい話ではないので、若い人が定着せず高齢化が進み、働き手が高齢化するからまた民宿が閉じるという悪循環。少子高齢化の昨今、日本全国どこでも似たようは話は聞きますが、都内からのアクセスはそんなに悪くないところ(竹芝桟橋から大型船で9時間、高速船で3時間。調布飛行場から飛行機で新島まで40分、新島まら船で20分)にある美しい海と島というアドバンテージを持っているのに、それでも避けられないこの現実。開島100周年、昭和62年には700人を超えていた島の人口は、今は550人くらいだといいます。

 行政もただ傍観しているわけではなく、東京都は人口当たりで見れば破格の予算を離島に割いていますし、平成31年3月末までの期間限定ではありますが伊豆七島の加盟店で有効な電子クーポン「しまぽ」を発行したりもしてます。

 それでこの「しまぽ」、観光客が7000円で購入すると都が3000円の補助を付けて1万円分のクーポンとして使えるという仕組みなのですが、認知度はあまり高くないようで、しかもお店側にしてみると運営側(JTBだそうですが)に手数料をピンハネされるのでちょっともにょもにょしてました。私も式根島に行くと決めてから「しまぽ」の存在を知ったわけで、「しまぽ」があるから伊豆七島に行こうと考える人がどれくらいいるのかなと考えると、若干疑問な気もします。まあ、お得感はあるし、離島振興をがんばっているという広報効果があるとして、それで良しとするんでしょうかね。

* * *

 とはいえ、エメラルド色の海、亜熱帯のハイキングコース、近隣にはサーフィンに好適な島もあり、しかも都内から近い。金曜の夜に出て、日曜の夕方には戻ってこれる、都内の勤め人の週末エクスカーションにはもってこいの場所です。ご興味ある方はぜひ。おすすめです。

June 16, 2018

電波マンション。




 通勤途中に古い5階建くらいのマンションがあって、そのマンションの前に頭おかしい張り紙が貼られていたり、ゴミだかなんだか分からない荷物が積まれたりしていて、どうも入居者に電波系の頭おかしい人がいるんだろうなと思っていたら、ある日、そのマンションのエントランス前で大声で隣人を罵っている六十過ぎくらいのおばさんを見かけることがあって、「あ、この人だな。くわばらくわばら。」と足早に通り過ぎたんです。

 そのマンションは古くて、どんどん入居者が減って人気がなくなり、やがてそのおばさんしか住んでいないような幽霊屋敷状態になっていたのですが、ついに建て替え。コンクリート打ちっ放しで、かっこよくて機能的そうなマンションに生まれ変わりました。

 ところが。

 その素敵マンションの駐輪場に怪しげな張り紙。通用口付近にゴミっぽい荷物が積まれ始め、キ○ガイのニオイが漂い始めました。そしてある日、マンションの裏側を通る機会があって、見上げたらこの写真。最上階角の一番いい部屋の前の廊下にガラクタ山積み。屋上にもなんかゴミっぽいもの積んでる。

 あの電波おばさん、どうも地権者なのか、建て替え後の素敵マンションにも優先して入居してたんです。
 
 いやー、こんなマンションに住んだら災難ですよ。新築で素敵なマンションだけど、キ○ガイおばさんのせいで台無し。間違いなく、不愉快で不毛なトラブルに巻き込まれる。その状況が眼に浮かぶ。

 ということで、物件を選ぶときには現地で、周囲もよく確認してから決めようね、と改めて思った次第です。

 現場からは以上です。 

March 11, 2018

スーツを買う。

 

 20年ほど前、就職に伴い上京した僕は、近くの紳士服量販店でスーツを買っていました。

 ところが、裾が短かったり、妙な生地だったり、ウェストが太過ぎたり細過ぎたり。会社の人から「ズボンの丈が短くない?」と指摘を受けて恥ずかしい思いをしたりしてました。測って合わせたはずのスーツを、一度受け取った後に再度店に持ち込んで、修正をお願いすることも度々でした。

 そんなことを繰り返していたとき、いつのことだったか、僕は新宿の某デパートの、大きいサイズの扱いが充実したところにスーツを見に行きました。

 応対してくれたNさんという自分の母親くらいの店員さんは、スーツの選び方、ネクタイやシャツ、靴などの選び方や買い方について親身になって相談に乗ってくれました。量販店で買うよりは少し高くついたけど、安心して着られるスーツを、僕はそこで買いました。

 次のスーツも、その次も、Nさんに相談して買いました。Nさんは僕がどんなスーツを持っているのか知っているので、買い足すならこういう生地や色のスーツがいいでしょうと、的を射た助言をしてくれました。

 僕のスーツの最初のワードローブは、Nさんに揃えてもらったようなものです。

 そのうち僕が海外でも仕事をするようになり、日本は冬物の季節なのに海外の出張先や赴任先の気候の都合で春夏物のスーツを注文するという無理を聞いてくれたのはNさんでした。あるいは一時帰国で東京に短期間しか滞在できない時、海外からお店に保管されているはずの僕のカルテを元に予めスーツを作っておいてもらえるようお願いしておき、東京滞在中に出来上がったスーツを受け取るというわがままを聞いてくれたのもNさんでした。

*   *   *

 少し間が空いて、次の季節のスーツを相談しようとそのデパートに出かけて、いつものところで「Nさんはいらっしゃいますか?」と尋ねたら、店員さんが少し困った顔をします。「Nさんは先日亡くなったんですよ。」

 ちゃんとお礼もご挨拶もする間もないまま、Nさんは亡くなってしまいました。Nさんにどんな家族がいらっしゃったのか、どんな人生を送ってこられてのか、僕はほとんど何も知りません。でも、僕の東京生活、職業人生のスタートを支えていただいたのはNさんでした。もう亡くなってから何年も経ちますが、今でも、感謝しています。

*   *   *

 今日また、新しいスーツを作りました。同じデパートの同じところで、Nさんに代わってEさんという男性店員さんに、ここ何年かはお世話になっています。Eさんもプロです。前回スーツを作ったのは1年以上前だったのに、カルテを見ることなく、「前回は裾を後で少し出しましたよね。」「胸回りが少し大きくなってるような気がしますね。」「前回はこのイメージで作ってましたが・・・。」と、手際よく固めていってくれます。

*   *   *

 デパートは構造不況業種だといいます。たぶんそのとおりでしょう。僕が惰性でデパートで買っているだけで、いい専門店が他にもたくさんある、というのもそのとおりだと思います。友人が紹介してくれたオーダースーツの某店も、同じレベルのスーツならそのデパートより何万円か安く買えそうですし。

 でも僕は、たぶん今後もそのデパートの、NさんとEさんのところで買い続けるでしょう。スーツと一緒に、思い出や物語を買うようにね。

*   *   *

 新宿伊勢丹メンズ館の永堀さん、ありがとうございました。江幡さん、これからもよろしくお願いいたします。

January 04, 2018

2018年。


 2018年の正月です。

 実家に帰って家族親戚の顔を見るのですが、親も老い、叔父叔母も老い、存命の祖母はもっと老い、当然ながら自分も老いているわけで、数年前に感じていた「今のままがいつまで続くのか」というぼんやりとした不安が着実に目の前に迫ってきました。

 仕事の上ではもはや十分過ぎるほどに「中堅」で、自分のポジションが固まり、充実はしているもののだんだんと先が見えるようになってきました。若い頃は広がる未来の可能性の中から自分の進む道を選ぶことができましたが、この頃は選んだ道を前進することで手一杯です。

 このまま、日々は流れて行くのでしょうか。

 先が見えているようで、見えていない。今すぐどうこうというわけではないかもしれないけど、このままというわけにはいかない。

 そんな予兆を感じながら迎えている新年です。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

August 29, 2017

読書感想文「お父さんの日記」

あの「築50年の家をフルリフォームしたらいくらかかるか」でバズってたブログ主が河相我聞さんであることは知らなかったです。

若くしてお父さんになったのは昔聞いた覚えがあるけど、もうテレビ自体をあまり見なくなっちゃってるし。

「お父さんの日記」 かあいがもん (宝島社)

結論から言うと、すごくよかったのです。この本。

若いパパと二人の息子の暮らしを中心に綴られています。風通しのよい三人の関係がほのぼのとあたたかく、またひとつ別の、世間体なんかにとらわれない今どきの家族のお話になっていて。筆致は軽く、ネタもオチも楽しいライトな読み物なんだけど、その軽い筆致の裏に、人生や子育てについて結構骨太、でもしなやかに向かい合う我聞さんの思いが滲む感じで。

我聞さん、僕とは全然違うんですけどね、生まれも育ちも今の暮らしも。
でも、自分の人生をちゃんと生きれているのかな、自分をちゃんと信頼できているのかな、と自分の足元を確認して、あしたもがんばろうっていう気になる本でした。

August 05, 2017

うまいもの。

いつだったか、父に「今まで食べたもので一番おいしかったものはなに?」と聞いたことがあります。しばらく間があってから、父は、「昔、学生時代に北海道を貧乏旅行したときに山の上で食べた麩菓子。あれが一番だろうな。」と話しました。

そう。そのものが客観的に言ってよい味がする、というだけではなくて、いつ、どこで、何を、どんな状況で食べたかによるんですよね、おいしいかどうかって。

僕にも、口に入れた時に思いがけず目がうるっとしたものがいくつかあります。

アフリカの途上国で国際援助のしんどい仕事を終えて東京に帰って来た友達が、和食が食べたいというので出かけたカウンターだけの小さなお店。そこで出された、囲炉裏の遠火でゆっくりゆっくり焼いた若鮎。

めったに遠出をしない母が父に連れられて上京してきたので、少し奮発して予約した、浜離宮を見下ろす眺めのいいレストラン。そこで出された、厚切りのサーモンのコンフィ。

金曜の夜、大人になってそれぞれ違う世界で仕事をしている友人たちと明け方まで飲み歩き、遅く起きた土曜の昼に一人で入ったタイ料理店。そこで出された、少し濃いめのチキンスープ。

そんな、いろんなものがピタッと合った瞬間に、「ああ、うまい」と独りごちるのです。

またうまいもの食べたい。

October 01, 2016

東の果てから、西の果てアゾレス諸島へ。


 思い立って、ちょうど1年ぶりに旅らしい旅に出かけてきました。行き先はポルトガル領アゾレス諸島。首都リスボンから北大西洋上に飛行機で2時間ほど、人が住む9つの島とその他の岩礁からなる火山群島です。噴火でできた丘陵やカルデラ、盆地や湖など変化に富んだ地形が興味深く、ヨーロッパ旅行中の友人Sがアゾレス諸島に滞在している時期を狙って、これ幸いとばかりに一緒に旅行してきました。

 上陸したのはサン・ミゲル島とピコ島。


 サン・ミゲル島は9つの島の中では面積最大(759.41平方km)、人口も最大(約15万人)の島です。ヨーロッパ各国のみならず、北大西洋の対岸のアメリカ東海岸からも空の便があり、アゾレス諸島の拠点となっています。


 アゾレス諸島がヨーロッパ人に最初に発見されたのは西暦1427年、群島の全体像が知られるようになったのは15世紀の中頃のこと。しかし、北大西洋の真ん中、北米大陸からも欧州からも離れた場所にありながら、覇権を争う各国の世界史の波から無縁でいることはできず、16世紀から17世紀にかけてはカスティーリャ王国(後のスペイン王国の中核)の部隊が駐留し、英国やマグレブ(北部アフリカのアラブ文化圏)の勢力などと対峙していたとのことです。


 すでに15世紀には小麦の生産が始まり、一時はヨーロッパ本土への一大供給地となっていましたが疫病で壊滅、大青(植物染料)、オレンジ、とうもろこし、茶葉、ブドウ、パイナップルなどの生産に移り変わっていきました。それが19世紀にはまたオレンジ、ブドウが疫病でやられたそうで、現在は観光業の他は牧畜、林業、漁業が盛んなように見えました。


 林業で植林されているのは日本原産の杉。その他にも日本原産のアジサイがサン・ミゲル島中で見られ、日本から遠く離れているのにどこか既視感のある景観が広がっていました。しかし島の中部にはアゾレス原産種の植物で覆われた森が保護されており、巨大なシダ類や奇妙な枝ぶりの大木が繁茂して、映画ジュラシックパークのセットのような姿を見せています。


 火山島で、人が住み始めてからも何度となく噴火を繰り返し、狭い範囲内でも異なる成分の溶岩が分布しているので、吹き出す温泉も泉質が多様だそうで、こんな茶色い温水プールもありました。





現在、サン・ミゲル島で最大の町、ポンタ・デルガーダ。どの町も教会を中心に拓かれていますが、さすがに中心地のポンタ・デルガーダ、海沿いは漁港や大型客船の着く桟橋、ヨットハーバーがあり、レストランやカフェ、バーなども数多く、さらには行政機関まで立ち並び、観光客と地元の人が夜遅くまでそぞろ歩いておりました。


 サン・ミゲル島からさらに飛行機で小一時間。富士山にも似た孤立峰の火山・ピコ山が印象的なピコ島です。ピコ山はポルトガル共和国の最高峰で標高2351m、日本人が移住していたいたら必ずや「アゾレス富士」と名付けたに違いない姿です。


 山麓には火山岩を組んだ壁にブドウの木を這わせる独自な形態のブドウ畑が広がり、その景観はUNESCO世界遺産に指定されています。ブドウ畑の溶岩壁は、一説によると地球2周分にもなると言われるそうですが、きっとまだ誰も正確には計った人はいなんじゃいないかと思いますよ。過去にはブドウの疫病が蔓延し、生産量が大きく減少したこともあったそうですが、国が補助金を出してブドウの生産を奨励し、新規のブドウ畑の開拓も進んでいました。
 土が乏しいので、溶岩を積んだ壁に隣のファイアル島から持ち込んだ土を入れ、そこにブドウの苗を植えるそうです。黒い溶岩は陽の光を吸収して温かく、水はけもよいのでブドウの根もよく伸び、ワイン造りに好適な甘いブドウが収穫されて、ピコ島はワインの産地として有名です。糖度の高いブドウから造られるワインは甘口で、食前酒や食後のデザートワインとして楽しむのがよさそうです。


 またこの島は捕鯨の島としても知られていました。1985年までマッコウクジラの捕獲と加工を行っており、当時の面影を残す工場や港湾施設が残っています。
 ところがピコ島はきっぱりと宗旨替えをして1987年以降はホエールウォッチングの島として売り出し中。未だに捕鯨を続けている日本国民としては発言に注意を要するところです。

 季節になればマッコウクジラだでなく各種のクジラが回遊してくるし、イルカは通年で島の周りにいて、時にはシロナガスクジラも島の近くに寄ってくるとのことでした。

*  *  *

 世界遺産にも登録される独自の美しい景観を誇るブドウ畑とピコ山。ホエールウォッチングやスキューバダイビングも楽しめ、ヨーロッパやアメリカからの観光客を数多く受け入れるアゾレス諸島ですが、ポルトガル本国の経済が芳しくないこともあり、経済はなかなか厳しいとの話もありました。生活の質(QoL)は高いと地元出身のガイドさんも言っていましたが、現金収入の口が少なく、出稼ぎに出る人も少なくないとの話でした。言われてみれば平日昼間からいい年頃の男女が何をするでもなく町中で遊んでおり、また一歩裏手に入れば日雇いの仕事を求めて寄せ場に集まっている男たちの姿があり、この世の楽園とはいかない現実も見え隠れします。

 町は美しく、道路も人口に見合わないほどよく整備されているのですが、これも裏を返せば公共事業が隠れた主要産業であることの証左なのでしょう。職業訓練校や研修施設が目に付いたのも、働き口が少ないことの裏返しかもしれません。

 どこか、日本の八重山諸島の暮らしを思わせる構造がありました。八重山諸島は石灰岩、アゾレス諸島は溶岩を使っていますが、島の景観も似たところがありますし。八重山が日本でありながら本土の暮らしとは違う独自の文化を持つように、アゾレス諸島にも欧州、ポルトガルでありながらそこともどこか違う、アゾレスとしての独自のアイデンティティがありました。

*  *  *

 機会あればぜひ、行く価値はある場所です。ヨーロッパ本土に比べれば物価も安く、シーフードを中心に食べ物もおいしいし。ただ正直、日本からは遠いです。日本からの観光客はどこでも珍しがられましたし、「地球の歩き方」でもアゾレス諸島全体で1ページ。なかなか思い切りがつかない場所ではありますね。

 旅に出るのは、日常から離れてすごい景色を見たり、心地よい天気の下でのんびりしたいというのもありますけど、違う土地に違う暮らし、違う歴史があることを見ることも大事な要素だと思います。自分の暮らしを相対化するとでも言いましょうか。
 仕事で海外出張もあったりして、旅に出るは腰が重くなりがちなんですけど、やっぱり、時には旅にも出ないといけないなあと実感するアゾレス諸島でした。


May 30, 2016

3年、5年、10年。


 きら星のごとく現れるアーティストやアスリートがいます。画期的な研究成果で注目を浴びる学者もいます。そこまで派手じゃなくても、それぞれの分野で成果を得て、その活躍が世に知られるようになる人もいます。

 そんな人たちの経歴を見ると、3年前、5年前、10年前から努力を重ね、模索を続け、あるいは何か大きな決心を持ち続けていたりします。

 そのとき僕は何をやっていたのか? 3年前、5年前、10年前に、彼ら、彼女らがその最初の一歩を踏み出した時、僕は何をやっていたのか?

 3年後、5年後、10年後にはきっとまた新たなヒーローが現れます。何か大切なことを成し遂げ、またあるいは大きな業績を上げる人が出てきます。

 将来ヒーローになる人たちは、今日、そのスタートを切っているかもしれない。焦っても仕方のないことだけど、僕はこれでいいのか?何かスタートを切って走り始めているのか?またそんなことを自分に問いながら、今日も一日が過ぎていきます。

April 10, 2016

やるなら、それなりに。

とあるジムの会員になっています。

しばらく会員になっていると、話はしないけど、ときどき見かける人っていうのがいらっしゃる。

で、基本的な種目のトレーニングを正しいフォームで、きっちり真剣にやっている人が、ちょっとの間に「あれ?」って思うほど体が変わってることがある。

一方で、よく見かけるんだけど、基本的ではない種目のトレーニングや我流のトレーニングで時間を費やしていく人で、いつまで経っても怠惰な体型のままっていう人も結構いらっしゃる。

ジムに通う理由は人それぞれなので僕がとやかく言うことではないですけど、同じ時間を費やしても、結果が出る人とそうでない人がいらっしゃる。

この差って、体づくりのトレーニングに限らないよなと思ったわけです。練習に同じ時間をかけても、取り組み方次第で結果は全然違う。

人生の長さは有限。結果を出したいなら、結果が出る方法でやりたいね。まして、僕はもう人生折り返し点を超えてるしね。

January 31, 2016

誤差、揺らぎ、隙、不完全さ。

大手食品メーカーがテレビでCMを流しているようなものって、好き嫌いは別にすれば、美味しい。綿密なリサーチをして、研究を重ねて注意深く調整された味で、間違いがない。
それでも、ビストロの料理人が作る味や家庭料理の味にしばしば負ける。食品メーカー製の味が整い過ぎているからだと思う。


CGを駆使した映像は、どこまでも精緻に、時間をかけて製作されたものであっても、大抵はCGだと分かる。リアルさではロケで撮られた映像に敵わないことが、ままある。CGが完璧過ぎるからだと思う。現実世界には存在する不完全なところがないからだと思う。


オペラ歌手の歌声はすばらしいけれど、童謡はオペラ歌手に歌ってもらうより、子供たちが歌っているのを聞いたり、子供たちのために親や祖父母が歌い聞かせているのを聞いたりする方が、胸を打つ。オペラ歌手の歌声が整いすぎてるからだと思う。


三味線の音には「さわり」と呼ばれるほのかなノイズが乗っていて、それが味わいになっている。音叉の出す純粋な音にはない、わずかな不完全さが三味線の楽曲の世界を豊かなものにしている。


映画「攻殻機動隊」の重要なテーマの一つに「ゴースト」という概念があった。人工知能と義体技術が発達して、人に限りなく近いアンドロイドを造ることができるようになっても、最終的に人とアンドロイドを区別する「差」のようなもの。それは人の意識が内包する不完全さ、誤差のようなもので、人間らしさの由来とされている。


そんな誤差、揺らぎ、隙、不完全さを愛したい。大げさに言えば、そこに生きていることのリアリティがあるような気がする。

November 11, 2015

ジェネリック薬の話。


 ジェネリック薬に医師の半数以上が不信感、というニュースが流れて、それについてなんだかんだと議論されていたので、私の思うところをメモっておきますよ。

 私の知識が正しければ、ジェネリック薬って分子構造や製造方法についてのパテントの切れた薬を後発メーカーがコピーして製造しているやつですよね。研究開発費もかかってないし、パテント使用料もかからないので安く製造できる薬。

 で、同じ分子構造なら、薬効は同じなはず。落ちぶれたとはいえ先進国の日本のことですから、その品質くらいはちゃんと保持されているはずなので、服用を特に心配することはないと思います。

 それでも、不信感があるとか、効き方が違う主張する人が少なからずいらっしゃる。「信頼できる医者が効き方が違うと言っていた。」「私もジェネリックは効きが悪かった。」・・・。それはその人にとっては真実で、否定はしません。しかし、疫学的、統計学的には何の意味もない話ですよね。「信頼できる医師がサイコロを振ったら6が出ると言ってた。」「私もサイコロでは6が出た。」と聞いても、では私が次にサイコロを振ったら何が出るかということについては何の示唆もない、それと同じようなことで。
 
 それに、その薬を朝飲んだのか夜飲んだのか、空腹時だったか満腹時だったか、症状が重い時に飲んだのか軽い時に飲んだのか、他にコントロールすべき条件が何にも分からないし、「ジェネリックは正規薬の劣化コピーだ」という先入観、心理的効果もあるでしょうし。一種のプラシーボ効果とも言えそうですけど。

 医師の半数以上が不信感って言ったって、医師にも「ジェネリックは怪しい」という先入観を持っている人はいるでしょうし、患者の方にも同じ先入観を持っている人がいる。他方、「ジェネリックでも同じだ」と思っている医者、患者もいるはずで、そういう心理的な影響が複雑に絡み合ってるに違いない状況下で、適当に「ジェネリックをどう思いますか」とアンケートした結果なんて、ジェネリックの薬効の否定にはなんら繋がらない。しかも、元記事には調査方法が書いてないし、調査対象の母数さえ分からない。疫学的、統計学的には無意味、ただ「一般的な印象はこうです」っていうだけの調査に過ぎません。

*   *   *

 しかしそれでも、ジェネリックの薬の効き方がオリジナルとは異なるというのはあり得る話です。それは、薬効成分が同じでも製薬メーカーが違えば、錠剤や頓服に加工する時の設計が違ってくる可能性があるからです。たとえば同じ薬効成分の物質を同量使って錠剤を作るとしても、飲んだらすぐ溶け始めるようにするか、一定時間経ってから溶け始めるようにするかの違いはある。また、溶け始めたら短時間で溶け切るようにするか、時間をかけて徐々に解けるようにするかの違いもある。そんな薬の設計の違いによる効き方の差というのはあるはずです。

 とはいえ、それはもはや、ジェネリックかオリジナルかという話ではないですよね。薬の設計が違うという話です。

*   *   *

 ということで、自分だったらどう選ぶか。私は、一時期だけ必要な薬であれば、ジェネリックにします。薬の設計の違いなんて飲んでみないと分からないし、体調悪い時にいちいち気にしてられないので、薬効が同じなら安い方でいい。他方、長期間飲み続けなくてはいけないなら、ジェネリックでもオリジナルでも、薬の効き方の相性のいい方を選びます。よく効くのがいいのか、すぐ効くのがいいのか、長く効くのがいいのか、その時の状況に相応しい方と選びますよ。で、どっちでも変わらないなら安いジェネリック。

 保険医療費の国庫負担が膨らみ続けている昨今、可能な限りジェネリックに切り替えるよう推進するのは理にかなっていると思うんですけどね、私は。
 

 

November 03, 2015

嫌いなポン菓子。



 母はポン菓子が嫌いだという。貧しい家で両親共働き、2人の弟がいて家事は小学生の時から自分の役目。そんな幼き日の母が、ちゃぶ台の上に置かれたわずかばかりのお金を持って夕餉の買い物に行くと、街角にポン菓子屋がいる。

 米と砂糖と幾ばくかの小銭を渡すと、「ポン!」とその場で菓子を作ってくれるのだが、母にはそんなことに使える米も砂糖も小銭もなかった。なのに、買い物についてきた下の弟が、「姉ちゃん、ポン菓子食べてみたい。」と母の袖を引くのだ。

 いつもいつもそうやって、ポン菓子屋が「ポン!」とやるのを見ていたので、今でもポン菓子を見るとあの頃を思い出してしまうのだと。だからポン菓子は嫌いだと。

 「ポン菓子食べてみたい。」と言っていた下の弟、すなわち僕の叔父は今年、母より先に逝ってしまいました。享年六十二。指にくっつく甘いポン菓子を食べながら、遠い日の母と叔父を思う秋の夜長です。